つぶやくふたり

talk about housing

A:新年明けましておめでとうございます。今日はサザエさんのように長く愛される家について考えてみたいと思います。

単刀直入ですけれど、志水さんは長く愛される家ってどんな家だと思いますか?

S:おお、いきなり。そうですねえ、「自分の好きなテイストであること」と「長く使い続けられそうなこと」の2つですかね。特に長く使い続けられそうなことというのは、自分の好みのテイストばかりでなく、家族の好みもあるので最大公約数的なところをおおらかに受け止めてくれるような家、ということでしょうか。

A:はじめから直球過ぎましたね。
実はこの話題にしようと思ったのは、うちの子供たちが幼稚園生くらいから今までずっと観ている唯一のテレビ番組がサザエさんなんですよね。「サザエさん観ないと落ち着かないよね」と子供たち同士で話していたりする。「このサザエさんの普遍的な人気って何なんだろう?何か家に繋がる部分もあるのかな?」と思ったのです。

S:サザエさんで取り上げてるテーマは、些細な日常のことですよね。刺激的なコンテンツに触れることの多い子供たちはほっとするんでしょうかねえ。

A:そうですね、日常の話題を笑いに変えたり、涙に変えたり。大事件は起きないし、最後は予定調和的なところに落ち着く、この安心感が魅力なのかな。
家にも安心感や安定感って必要ですよね。

S:バブルをぎりぎり社会人で経験した僕としては、頑張っている自分を見せるための派手な文化も経験してるわけですけれど、価値観は変わったんですよね。今の子供たちからみたらバブルってどう見えているんだろう。馬鹿だなあって思われているんでしょうか?

A:バブルってすごかったの?とは聞かれますね。
今の子供たちをみていると、これからもこの日々の暮らし重視な思考が続いていきそうな気がします。
話はそれますが、バブルの頃のサザエさんってどんな感じだったんでしょうね?今とは違うのかな?

S:マスオ、スポーツカーを買う、とかあったりして、笑。

A:笑。
家の安心感、安定感の話に戻りますね。私は美しく古びていく素材が多い方が安心感があるなあ、と感じるんです。新品のピカピカな感じはどうも苦手です。

東海道線「根府川駅」。何気ない古いモノにも美しさはあると思います。

S:家には、設備のように古くなっていくと性能が落ちて劣化していく要素と、時間を経ることによって美しくなっていく要素の2つがありますよね。一昔前でしたら設備が古くなったら、家自体を壊して新しくするという考え方が主流でしたけれど、今はそういう時代じゃないですよね。

A:設備だけはアップデートしつつ、プライスレスな経年変化の美しさや心地よさをを楽しむという家づくりが増えていくといいですよね。建築家の青木淳さんの文章を読んでいたら、「新築の建物でも新築に見えないように作る」といった趣旨のことをおっしゃっていて、その理由が、志水さんもよく言う、建築とは長い時間軸で存在してしまうものだから、でした。

S:町家の改修などを手掛けると、経年変化でより美しくなった自然素材に出会います。この美しさを残しつつ、設備は現在の技術でカバーする、この融合が面白いなと思いますね。

新築で作る場合は、さすがに古い素材を持ち込むということはしないのですが、できるだけ古くなってもカッコ良くなる素材を使おうとは思っています。ただ、どうしても値段が高くなるので入れられないことも多いです。

A:なるほど。住み手側も少し考え方を柔軟にした方がいいかもしれないですね。新築の家といえば、竣工写真のような綺麗な絵をイメージする方が多いと思うけれど、そこまで最初から完璧に作り込まなくてもいい、と考えるとずっと楽になると思うんですよね。
予算が取れないのであれば、好きなものを徐々に加えていけばいいんですよね。良い素材に出会ったり、節目のタイミングで手を入れようと考えておくとかね。

S:本当にそれはありですよね。あと、家を建てるタイミングってだいたいお子さんが小さい時が多い、子育てが一番忙しくて大変な時期なのはわかるんですけれど、子育て目線重視で家を建ててしまうと、10年20年経つと暮らしと家が合わなくなってきてしまうことが多い。結果、もったいないことになると思うんですよ。

A:一時的なことですからね、子育ては。住み手も作り手も、建築の時間軸をきちんと考えるということは大事ですね。

個人的に最近気になっているのは収納のあり方です。時間軸で考えたらパーフェクトな収納の答えを出すのは難しいかなと。だからこそ、作り手も、住まい手もモノとの付き合い方をどうするか、しっかりと考えた方が良い気がしていて。
安くてそこそこ良いものはいくらでも買えてしまうので、吟味するという行為はとても大事な気がしています。モノに溢れていたら、今度はそのモノを片づけるモノが必要ってなるように、次から次へと欲しいものが出てくる。終わりのない消費って、安心感からは程遠いですから。

S:選択する能力、リテラシーって必要ですよね。モノだけじゃなく今は情報量も多い。知らず知らず洪水の中で溺れているってならないようにしないとね。
人生を経ていくと、そういう引き算が上手くなっていくような気はしています。

A:確かに、、となると若い時にかっこよく見せようと背伸びして作った家より、引き算していった時にちょうど良くなる家が良いのかな。

S:将来のことなんて結局どうなるかなんて分からない、だからとりあえず大は小を兼ねるで大きめに作っておく、というのもわかるんですけれど。大きさではなく考え方の最大公約数を持っておくというのは大事です。

A:考え方の最大公約数?

S:家の要素的な部分の考え方です。今も30年後もずっと快適な性能は譲れないとかね。壁紙やどんなシステムキッチンを選ぶかよりずっと大事なことです。でも今の日本でそれがお客さんにきちんと提示されているかというと、そうでもないのが残念なところなんですが。ハウスメーカーに都合の良い部分しか、お客さんの耳に入ってこないようになっている。

A:賢い客になるためにはどうすればいいんでしょうねえ。アンテナを張っておく?知識に貪欲になっておく?絶対に変な家は作らないぞという強い意志を持っておくとか?

S:分からないときは、そういうことを知っていそうな知人友人を頼るというのも大事な方法ですよね。

A:結局、愛される家って長く住めるとか、経年変化が美しいとか、普段私たちが建てたいと思っている家と大きく方向性は違わないと思うんです。

S:そうですね。特別じゃない日常が愛でられる、そういう穏やかな心持ちになれる家というのがサザエさんに通じるような気がしますね。

A:身近にある幸せや楽しみを見つけて大事にできる家。。

S:僕らは家を作るから家の観点から話をしていますけれど、それぞれの家族で日常のどこに優先順位を置くかというのはきちんと決めたらいいと思います。食べ物なら食べ物、着るものにこだわりたいなら着るものと言ったように。そうすれば、それ以外のことはオフラインすることができますよね。

A:なるほど、そうですね、ほんとオフラインにするって大事です。
私は日常に忙殺されない家がいいなあと思いますね。洗濯しなきゃ、料理作らなきゃって嫌々やることにならない家っていうのかな。
洗濯はしなきゃならないんですけど、何かそこに楽しみがある。小さな窓から綺麗な景色が見えたりとかね。料理しなきゃじゃなくて、疲れていても料理がしたくなる工夫のあるキッチンとかね。そういうのはデザインというハードができることかなと。

S:確かにね、生活のクオリティを上げるということに関しては家のデザインは大きな力を持ちますよね。

A:人間が死ぬ直前まで、手を動かして、頭を動かしてやる仕事、それが家事なんじゃないかなと思っていて。その家事がおばあちゃんになっても苦じゃない家に住みたいですね。

S:掃除をしたり、庭仕事したり、薪ストーブがあれば薪を割ったり。生活に必要なことだからやるんだけれど、楽しみがある仕事だといいですよね。何でもポチッと押したらできているというのばかりだとね。

A:実家が薪で炊くお風呂だったので、夕方5時半には祖母が必ず焚き付けと薪を用意しておいてくれました。その手伝いだけは滅多にさせてもらえなかったのですけど、薪を山から切り出してくる大変さや段取りの大切さ、お風呂が沸くまでには時間がかかるということ、なんかを普段の生活の中でわかったことは良い経験だったと思いますね。

S:そうですね。物事には背景があるっていうことが、身をもってわかるって大事ですよね。

A:お風呂を薪で炊くような経験は、自分の子供にはさせてあげられてないんですけれど、小さなことを最近実行してるんです。

S:なんですか?

A:市販のジャムを買わないで手作りするってことなんです。今だとご近所さんから庭で採れた柑橘類をたくさんいただくので、これで美味しいマーマレードができます。手間はかかるけれど、やっぱり美味しいです。

些細なことですけど、みんなで何かをわいわい言いながら作るような、サザエさん的な日常を大事にしていきたいなというこのごろですね。

今回は本当に答えのない話でしたけれど、いろいろな話題があって楽しかったです。ありがとうございました。

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